昨日から一気に寒くなって,今日は最高気温5℃.今の気温は1℃.冷えます.


先週後半の夜はいろいろなsocialで忙しかった.木曜は去年修士をやっていた連中のお祝いパーティ.金曜は友達の誕生日パーティでボウリング.セーラームーンが大好きというアメリカ人(?)の女の子と(「ツキニカワッテオシオキヨ!」って言ってた(笑)),鳥取JETプログラムで2年間住んでいたというドイツ人の女の子に会った.ドイツ人のほうは日本語ペラペラ.驚いた(「鳥取はいなかだったけど,人はやさしいし食べ物はおいしいし,すごおおおい良かった!帰りたくなかった!」).


木曜のパーティは私のオフィスの入っている建物にある院生用コモン・ルームを使ったBYOB(Bring Your Own Bottle=飲み物持ち込み).ホスト役が回りに回って私になったので,他の院生オフィスの人たちへの根回し,連絡,お菓子やおつまみの準備,飾り付け等をこなしておいた.パーティには25人くらい集まってくれて,8月に修士を終えて国に帰った連中もたくさん来たし,けっこういい感じのパーティになったのでホストとしても喜ばしい限りである.


国に帰った連中と色々と話をしたのだけれど,仕事を探したり大学に戻って勉強を続けたり別の大学に入って別の学位を目指したり,その進路はまちまち.特にこの去年の修士の友達たちはヨーロッパの人が多いので,勉強や仕事のために住む場所を変える人が多い.たとえばロンドン出身のリチャードはエディンバラ修士をやっているあいだにノルウェー人の彼女を見つけて,いまはヘルシンキで彼女と一緒に暮らしてノルウェー語の勉強をしつつヘルシンキ大学進学を目指している.ルーマニアコリーナブリュッセルEU関連の仕事を見つけるためにいま就活中だし,アイスランド人のナナはニューヨークにいる彼氏のところに行ってこのあいだ出版社の仕事を見つけたし,このまえ書いたアメリカ人のローラは来年ノルウェーオスロ大学に行くためにノルウェー語を勉強中だ.彼らにとって,国が違うから,いままでやってきたことと違うから,というのはたいして大きな問題ではないのだ.


こういう進路や住むところにこだわらないフットワークの軽さはほんとうにうらやましい.こういう生き方を可能にする社会的制度,慣習,価値観の違いもいいなぁと思う.こっちにきて気付いたヨーロッパやアメリカ社会と日本社会の一番大きな違いはここにあると私は思う.こっちでは人生の選択肢,選びうるオプションが日本のように大学卒業の時点で大きく決まってしまうということはあまりない.あるいはあるかもしれないけどあまり人々は気にしていない.なにをやってきたか,なにができるかよりも,これからなにをやりたいか,どこに行きたいか,どう生きたいかを優先させているように思う.その人たちは修士だから気軽なのでは,と言えるかもしれないけれど,PhDの連中もだいたい似たようなメンタリティで,終わったら仕事探すよーとか,もとの仕事に戻るよーとか,あまりアカデミアで生きることを最優先事項にはしていない.チューリッヒの新聞社で働いていたデイヴは先日もといた会社から前よりいい給料出すから戻って来いと言われて悩んでいるし,あの優秀で学科中の先生から将来を嘱望されているマシューでさえ,俺はアカデミアはもういいや(I'm fed up with those people),終わったらアメリカかどっかで働くよ,と言っている.


で,ここ数日で何度も聞かれたのが「ヒサシはPhD終わったらどうするの? 日本に帰るの?」うーん,どうだろな.もうちょっと考えたいな.